ワルツ・フォー・デビー

ビル・エヴァンスのワルツ・フォー・デビー。
酒に酔っている時以外はジャズを聴くことはほとんど無いに等しい、ジャズに精通しているとはとても言い難い僕にとっての、数少ないお気に入りのジャズナンバーである。

20代前半、僕は、ラジオ局のミキサーのバイトをしていた。
潜竜酒造の純米酒「本陣」によるアルコールの奴隷と化している今の記憶が正しければ、日曜の夜九時からやっていたジャズ番組のオープニング曲だった。僕が左手でフェーダーを上げ、右手でスイッチを押すと、この曲が流れ始め、素敵な女性が話しだす。騒がしい日曜の終わりに相応しい、落ち着く、良い番組であり、曲だった。

アルコールが入ると、昔の事を想い出してしまう。視界はぼやけるし、首はひとりでに頭を振るが、不思議と頭の中枢だけは整然としていて、音楽は素面のときよりも鋭敏な神経に働きかけてくる。ワルツ・フォー・デビーの踊るようなピアノ、後半半ばに主張するベースの音色。静かな夜に相応しい、おとなしく、それでいて激しい曲。起伏のある感情にがっちりと噛み合い、丸くさせてくれるようなそんな曲だ。

人の創作する音楽、小説などに夢中になる僕には、到底自分は人嫌いだと言う事は出来ない。多くの人々が集まる場所は苦手だが、おそらくそれは自意識過剰、神経質から来るもので、少々病的なものだと考える。分かってはいてもなかなか治せないもので、特にこれといって支障は無い、ということにしたいが、不安を取り除きたいというのが人間というもの。

だから僕は、酒を飲みすべてを忘れることにする。
以上、回顧と、遠回しな酒を飲むことの言い訳である。

野村先生

ちょうど20年前、小学2年時の担任の野村先生の話。

幼少の頃より嫌いな食べ物が多く、しかし大人になっていくにつれて、我が舌上にお住まいになる味蕾ちゃんたちの機能が煙草や酒などの俗悪なものにより害されていったからなのか、ある種の諦念によるものなのかは知らないし、大して知りたいとも思わないが、その大半をどういうわけか今では平気で食べられるようになった。グリンピース、セロリ他、未だに嫌いなものもいくつか、片手で数えられるほどはある。食べ物に限らず「この世に嫌いなものなど存在しない」という人間がいるのか?とても考えにくい事だ。恐らく、いないだろう。この世にはさまざまな嫌いなものが点在していて、線で結べば自分を取り囲んでいるのである。

それでも「好き嫌いはよくない」と野村先生に諭された覚えがある。なるほど、あれから20年ほどの時が経ち、僕も様々な経験を積んできた。その中に「好き嫌いはよくないよな」と言えるような出来事もありましたよ、そりゃ。
最近で言うと、得体の知れない鼻につくキザな感じがあって嫌いだった推理小説やサスペンスドラマなどにすっかり夢中になってしまい、シャーロック・ホームズものの小説やドラマを漁っているということ。
「なぜ、このような生きがいを感じるほどの代物に手を出さなかったのか?」と悔やみも確かに、した。したのだが、ここで宿敵、ホームズにとってのモリアーティ教授、僕にとっては豆苗、忌々しいエンドウの苗の登場である。

昨今、レタスやキャベツが価格高騰によりなかなか手を出しにくい高尚な存在となり、僕としては代替品が欲しいところだった。その時、スーパーで豆苗なるものを見つけたのだ。「クセのない味」とパッケージにあったので、水菜みたいなもんかと購入し、味噌汁に入れてみたりチャーハンに入れてみたりそのまま食べてみたりしたのだが、これがどうにもクセ者で、この世で一番嫌いなものだと言えるグリンピースのようなムッとした独特の匂いがどうにも駄目、ともすれば嘔吐などするところであった。食わなければよかった、と猛烈に後悔するほどのストレッサーとなって「クセのない豆苗」は僕を襲ったのである。

そういうこともあって、僕はあのくそみたいな大人のように「好き嫌いはよくない」などとふざけた事を人には言わない、と心に誓ったのである。あいつは、嘘をついていた。嫌いな食べ物を頑なに食べようとしないクソガキに少なからずむかついていたはずだ。そうでなければ、給食の食器は片付けなければならない為に、茶色のザラ紙に食えずにいた切り干し大根を載せ、食べることを強要する暴挙に出ることなどあるまい。刑務所ですらあのような事は無いだろう、多分。

そんな野村先生は、定年だったのか異動だったのかはよく覚えていないが僕たちが3年生になる前に居なくなった。離任式の挨拶のときに、先生は泣いていた。前述の出来事があったのとその他諸々、それにもともと冷めた子供だったので「なんば泣きよっとやクソが、泣く暇あったらさっさと出ていかんかい」くらいに思っていた覚えがある。今となっては、懐かしみ、ご存命であればもう80近いだろうが元気だろうか、と思いを馳せることもある。
あの頃は間違いなく嫌いだったが、現在は好きか嫌いかと言われると、わからない。

願わくば、元気であることを。